4人目

今日は4人目の孫が誕生しました。

おめでたいことです。とはいえ、昨日の夕方から定時の5時半に帰宅して自宅待機。夜の8時頃に連絡があり、入院。となったのですが子宮口は2センチだけで旦那さんは帰宅。その後、夜中の3時頃から陣痛が始まり、娘夫婦の家に。旦那さんは病院に行きました。ところが、私の戸を開ける音がしたのか長男が二階から下に降りてきてまもなく他の二人も降りてきてそのまま夜通し起きていました。明け方の5時位に産まれて6時前には旦那さんが戻ってきてそのまま帰宅しました。

さすがに眠くてもう今日は起きれませんでした。

今はコロナのせいで旦那さんは陣痛室に入ることもできず、分娩室に移動となるとやっと呼んでもらえるようでした。その間はずっと車のなかで待機していたようです。また、病院に入れるのは旦那さんと実母だけでした。上の子どもたちは病院で対面することもできないんですね。私は実母なので産まれた姿を3時半頃に見に行きました。とても可愛かったです。でもガラス越しで見るだけでした。とはいえ、陣痛室で娘がひとりで苦しんでいたのかと思うとなんとかしてあげたかったです。それで病室で背中をさすってあげようか、と言ったのですが終わりの方では助産婦さんがさすってくれたと言っていました。立ち会いできるだけでもありがたい病院のようで、他の病院ではそれすらもできない所もあるようです。

ただ、実母と旦那さんだけしか面会ができないので娘もゆっくり休めれるのはとてもありがたいなあと思いました。

私の時は親戚や友人が次から次に来てくれるのはありがたかったけど正直、ほとんど休められなかったなあと思い出しました。

娘は今回は4人目だったのですが破水したり、胎盤を初めて見たりすることができたみたいでとても感慨深いお産となったようでした。立ち会いはやっぱり見るべきとも言っていました。私も本当に女の人が苦しんで産む姿を男の人は知って命の大切さや子どもを思う親の気持ち等を知ることは本当に大切なことだと思いました。

病院の掲示板に退院した子どもに対する親からのメッセージがあったのですが4人目や5人目の人もいたようです。3番目や2人目の人もいました。私は最近は子どもが少なくなっているのでちょっと驚きましたが産む人はたくさん産むようになってきたのかなと思いました。また、結婚せずにずっといるお一人様も増えているので両極端に別れているような気がしました。

どちらがいいのかとか、どちらが幸せなのかはわからないですが個人的には私はこどもの声がするのはなんか嬉しいものです。

これからの20年間は日本では子どもが少なくなって外国人のお世話にならないと困ることはよくいわれています。

インドネシアやフィリピンからたくさんの人が日本にきて就職しています。工場や介護の仕事でまだまだ増えるようです。これまでは大都市中心だったのがこれからは地方にも進出してくるそうです。5年ほど日本で住んでいる知り合いのインドネシア人はとても日本語も上手です。色々聞いてみると初めは大都市で働いていても、結婚すれば生活費も高いので地方に来て子育てをしながら夫婦で家庭を持つようになるそうです。また、彼らはずっと親に毎月仕送りをするのですが10年もすればしなくなるそうです。というのも日本と違って50そこそこの寿命だからだそうです。延命治療や医療も日本のように充実してないのでどうしても50くらいまでしか生きられないようです。それで10年くらいで仕送りはなくなってしまうそうです。そのまま日本で生活する人がまだまだ増えそうです。ベトナム人は少しずつベトナムに帰っているようですがフィリピンやインドネシアはこれからは隣近所に住む人も出てくるそうです。まだピンとはきませんが。不思議な日本になりそうです。

一週間後

ホームパーティーをした一週間後なことなのですがいとこはコロナになりました。

とても気を付けていたのに残念でなりません。

私たち家族は濃厚接触者もいなかったのですが。

どこかで感染したみたいです。

さらに悪いことに伯母さんまでコロナになりました。

私も会いに行けなくなりました。

とても心配しています。

なんとかなればいいのですが。

また、何か進展があればブログの更新しますね。

ホームパーティー

いとこは日によってすごくしんどい日やそうでもない日もあるようです。

抗がん剤治療した後の二、三日が一番しんどいと言っています。

みんなでまた、外食に行こうと誘ってくれたのですが体調のこともあるのでホームパーティーをしました。

ピザやそうめん、おにぎり、お寿司等を用意しました。

そうめんを気に入って食べてくれました。

世間話やこれからの治療の話や親のことなど色々な話をしました。

いとこは独身なのですが、ガンになり独身で良かったと言っていました。

私は独身だからひとりでよかった、家族がいたらもっとつらかったと言うのもわかるし、

でも、もし、結婚していたらどうだったのだろうと考えるとなんだかどっちにしてもつらいだろうなあと思った。

少なくとも家族がいたら奥さんや子どもの将来のことを心配するだろうし、独身でもまだ両親が健在なので(とはいえどちらも80後半なので)親より先にいくかもしれないと考えるとあるいはどちらかを残してと思うとなんともやるせない気持ちになる。

そんなことも思いました。

その話題になると少し考えさせられましたがそれ以外はとても楽しい話題でいとこもよくしゃべり、ニコニコしていました。

終始和やかな雰囲気で娘や息子も一緒に楽しく過ごすことができました。

とても楽しかったです。

いとこ

いとこのことなんですが最近は急に調子が悪くなって7月の半ばくらいからかなりしんどいそうです。

今日は久しぶりに行ったのですが部屋の片付けをしていました。

総合病院ではもう見放されて個人病院にいって最期を迎えてくれ、みたいな話があったそうです。

また、叔父さんにも立ち会ってもらって話を聞いたそうです。

もう長くないって今年いっぱいかなみたいな話をしたそうです。

また、初めに手術をと言っていたけど実際は胃だけでなくてかなり転移していたみたいで胃を除けただけではどうにもならない状況だったそうです。

伯母さんもガックリしていました。私もなんて声をかけたらいいのかわかりませんでした。

エルヴィス・プレスリー

今日はエルヴィス・プレスリーの映画を観てきました。

歌うために生まれてきたような人でした。

とても、純粋で心の綺麗な人だったと思いました。

踊りやパフォーマンスは派手に見えるけれども実際の彼の生き方はとても人を大切にして家族や友人、身内をたいせつにするとても誠実で魅力的な人だったのでしょうね。

ただ、人を疑うことが下手で、騙されたり、利用されたりとてもかわいそうに見えました。

クイーンの映画も観ましたが一緒に組んでする仲間を見分けるのってとても大切だなあと思いました。

音楽業界はとても華やかではあるけれどもそれを利用しようとする人やどんどん実力を発揮させていこうとする人や様々な人間が入り乱れて入ってきているのでしょうね。

エルヴィス・プレスリーがもう少し長生きできていたらもっと何かが違っていたかと思うと残念でたまりませんでした。

 

クイーンのフレディ・マーキュリーは死んだ後もエイズ基金などの活動もしたり、また映画化されてどんどん収益化していけたのをみるとエルヴィス・プレスリーの周りの人たちはエルヴィス・プレスリーを利用していただけかと思うと本当にかわいそうな気がしました。お母さまがもっと長生きしてくれていたら彼もどんなに慰められたかと思わざるを得ませんでした。

 

片付け

片付けをしていきたいと思って最近始めたのですが全然はかどりません。

今日は片付けをしてもはかどらないのでするのを辞めました。

そして、同じように片付けをしている人と話したのですがやはりその人もはかどらないと言っていました。

そこで共通点を見つけました。

 

片づけのYouTubeやブログをたくさん見るうちに時間が経っていた。

 

写真を片付けようと見ているとそれで時間がかかる。

 

色々なところからペンや鉛筆、マジックがどんどん出てくる。

 

カーテンや座布団、カーペットもたくさん出てくる。

 

とにかく物が多すぎる。

 

もったいないとかまた買うことを思うとやっぱり置いておこうかと捨てるのを躊躇してしまう。

 

服がたくさんありすぎる。

 

等でした。

 

これではさすがに片付かないと思いました。

 

ふと、話をした後に思ったのですが好きな音楽を聴きながらでもやっていった方がいいのかもしれないと思いました。

 

結局、片づけのブログを読んだり、片づけのYouTubeを見てもその人のやり方で自分のやり方や状況や環境とは違うんですよね。

 

だったらもうとりあえずは自分の好きな曲を聞きながら自分のペースで気楽にやった方が進むかもしれないと思ったのでした。

 

 

 

 

テレビ

テレビをつけているとつい時間が経つのを忘れてしまう。

今日のテレビは鉄道ファンの特集だった。一番見たい駅はどこだ?ってそれが面白かった。綺麗な駅やレトロな駅、自然の中の駅や電車がたくさん見れる駅などたくさんの駅が出てきた。私は、鉄道ファンでもないのだがやっぱり見だすと面白くて最後まで見てしまった。映画のロケ地になった駅は本当に美しくて綺麗だった。

 

もしかしたら、自分の住んでいる近くの駅がでるのではないか?などと思いながら見ていたがそれはなかった。

姨捨駅の夜景がきれいだったのだが、そこは急斜面なためバックして駅に入るようだった。四国の徳島にもそのようにバックする駅があるのを思い出した。

阿波池田に後輩がいたので行ったことがあるのだが途中でバックして一時停車した。一瞬、乗り間違えたのかと思ったが、後輩から聞いていたので、あわてることはなかった。ただ、そのことを知らない人が乗っていたらあせるだろうなあ、とは思った。とはいえ、ここで降りても次に来る電車まで二時間くらいは待つことになるだろうし、まわりには山しかなくて店も見当たらない。こんな秘境で二時間もどうして待てれるだろうか?などと考えたりした。

でも、こんな秘境でも三脚のカメラを持った人がいたので電車マニアか秘境の写真を撮るのかプロのカメラマンらしき人がいたのを今でも覚えている。

 

結局、一番見たい駅は東京駅で終わったが二時間最後まで見てしまった。

ランキングをつけるのでやっぱり一位がどこになるのかがどうしても気になるから最後まで見てしまうのかもしれない。

 

だったら、最後だけ見たらいいようなものだがそれぞれの駅の良さを熱く語っているのを聞いているとどの駅にも思い入れが入っていてそれはそれで面白い。

 

鉄道好きや鉄道マニアでない人にとってもとても楽しい番組だったと思う。